山男

原文

  1. `菊池弥之助と云ふ老人は若き頃駄賃を業とせり
  2. `笛の名人にて夜通しに馬を追ひて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり
  1. `ある薄月夜に、あまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠を行くとて、又笛を取出して吹きすさみつつ、大谷地と云ふ所の上を過ぎたり
  2. `大谷地は深き谷にて白樺の林しげく、其下は葦など生じ湿りたる沢なり
  3. `此時谷の底より何者か高き声にて
  4. `面白いぞー
  5. `はる者あり
  6. `一同悉く色を失ひ遁げ走りたりと云へり

注釈

`ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり、内地に多くある地名なり。又ヤツともヤトともヤとも云ふ