原文
- `佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取納め親族の者集り来て其夜は一同座敷にて寝たり
- `死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき
- `喪の間は火の気を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に座り、母人は旁に炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口の方より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり
- `平生腰かがみて衣物の裾の引ずるを、三角に取上げて前に縫付けてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり
- `あなやと思ふ間も無く、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり
- `母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打臥したる座敷の方へ近より行くと思ふ程に、かの狂女のけたたましき声にて、
- `おばあさんが来た
- `と叫びたり
- `其余の人々は此声に睡を覚し只打驚くばかりなりしと云へり