九〇 天狗
現代語訳
- `松崎村に天狗森という山がある
- `その麓にある桑畑で村の若者の何某という者が働いていたが、ひどく眠くなったので、しばらく畑の畔に腰かけて居眠りしようとしていたところ、真っ赤な顔の極めて大きな男が出てきた
- `若者は物事をあまり深く考えない性質で、ふだんも相撲などの好きな男なので、この見慣れぬ大男が立ちはだかって上から見下ろす様子なのを憎たらしく思い、思わず立ち上がって
- `お前はどこから来たんだ
- `と訊いたが、何の返事もしないので、
- `ひとつ突き飛ばしてやろう
- `と思い、力自慢にまかせて飛びかかり、手を掛けたと思うや否や、逆に自分の方が飛ばされて気を失ってしまった
- `夕方に正気づいてみれば、むろんその大男は居なかった
- `家に帰って後、人にこの事を話した
- `その秋のことである
- `早池峰の腰へ村人大勢と共に馬を曳いて萩を刈りに行き、さて帰ろうとする頃になってこの男だけ姿が見えない
- `一同驚いて探してみると、深い谷の奥で手も足も一つ一つ抜き取られて死んでいたという
- `今から二・三十年前のことで、この時のことをよく知る老人が今も生きている
- `天狗森には天狗が多くいるということは昔から人の知るところである