八二六晴明蔵人少将を封ずる事
原文
- `昔晴明陣に参りたりけるに前駆花やかに追はせて殿上人の参りけるを見れば蔵人の少将とてまだ若く花やかなる人のみめ殊に清げにて車より下りて内に参りたりけるほどにこの少将の上に烏の飛びて通りけるが糞をし掛けけるを晴明きと見て
- `あはれ世にも逢ひ年なども若くて見目も善き人にこそあんめれ
- `式神に打てけるにか
- `この烏は式神にこそありけれ
- `と思ふに
- `しかるべくてこの少将の生くべき報やありけん
- `いとほしう晴明が覚えてこの少将の側へ歩み寄りて
- `御前へ参らせ給ふか
- `さかしく申やうなれど何か参らせ給ふ
- `殿は今夜え過ぐさせ給はじと見奉るぞ
- `然るべくて己には見えさせ給へるなり
- `いざさせ給へ
- `物心みん
- `とてこの一つ車に乗りければ少将戦慄きて
- `あさましき事かな
- `さらば助け給へ
- `とて一つ車に乗りて少将の里へ出でぬ
- `申の時ばかりの事にてありければかく出でなどしつるほどに日も暮れぬ
- `晴明少将をつと抱きて身固めをしまた何事かつぶつぶと夜一夜いも寝ず声絶もせず読み聞かせ加持しけり
- `秋の夜の長きによくよくしたりければ暁方に戸をはたはたと敲きけるに
- `あれ人出だして聞かせ給へ
- `とて聞かせければこの少将のあひ聟にて蔵人の五位のありけるも同じ家に彼方此方に据ゑたりけるがこの少将をばよき聟とてかしづき今一人をば殊の外に思ひ落としたりければ妬がりて陰陽師を語らひて式神を伏せたりけるなり
- `さてその少将は死なんとしけるを晴明が見付けて夜一夜祈りたりければその伏せける陰陽師の許より人の来て高やかに
- `心の惑ひけるままに由なく守り強かりける人の御為に仰を背かじとて式神伏せて既にしき神かへりて、己只今式神に打てて死に侍りぬ
- `すまじかりける事をして
- `と云ひけるを晴明
- `これを聞かせ給へ
- `昨夜見つけ参らせざらましかばかやうにこそ候はまし
- `と云ひてその使に人を添へて遣りて聞きければ
- `陰陽師はやがて死にけり
- `とぞ云ひける
- `式神をふせさせける聟をば舅やがて追ひ捨てけるとぞ
- `晴明には泣く泣く喜びて
- `多くの事どもしてあかずぞ
- `喜びける
- `誰とはおぼえず大納言までなり給ひけるとぞ