一五四七長門前司の女葬送の時本所に帰る事
原文
- `今は昔長門前司といひける人の女二人ありけるが姉は人の妻にてありける
- `妹はいと若くて宮仕ひぞしけるが後には家に居たりけり
- `わざとありつきたる男となくてただ時々通ふ人などぞありける
- `高辻室町わたりにぞ家はありける
- `父母もなくなりて奥の方には姉ぞ居たりける
- `南の表の西の方なる妻戸口にぞ常々人に逢ひ物などいふ所なりける
- `二十七八ばかりなりける年いみじく煩ひて亡せにけり
- `奥は所狭しとてその妻戸口にぞやがて臥したりける
- `さてあるべき事ならねば姉などし立てて鳥部野へ率ていぬ
- `さて例の作法にとかくせんとて車より取り下ろすに櫃軽々として蓋いささか開きたり
- `怪しくて開けて見るにいかにもいかにもつゆ物なかりけり
- `道などにて落ちなどすべき事にもあらぬにいかなる事にか
- `と心得ずあさまし
- `すべき方もなくて
- `然りとてあらんやは
- `とて人々走り帰りて道に自づからやと見れどもあるべきならねば家へ帰りぬ
- `もしや
- `と見ればこの妻戸口にもとのやうにて打臥したり
- `いとあさましくも恐ろしくて親しき人々集まりて
- `いかがすべき
- `と云ひ合はせ騒ぐほどに
- `夜もいたく更けぬれば
- `いかがせん
- `とて夜明けてまた棺に入れてこの度は能く誠にしたためて
- `夜さりいかにも
- `など思ひてあるほどに夕つ方見るほどにこの棺の蓋細目に開きたりけり
- `いみじく恐ろしくずちなけれど親しき人々
- `近くて能く見ん
- `とて寄りて見れば棺より出でてまた妻戸口に臥したり
- `いとどあさましきわざかな
- `とて
- `またかき入れん
- `とて万づにすれど更に更にゆるがず
- `土より生ひたる大木などを引揺さんやうなればすべき方なくて
- `ただ此処にあらんとてか
- `と思ひておとなしき人寄りて云ふ
- `ただ此処にあらん
- `と思すかさらばやがて此処にも置き奉らん
- `かくてはいと見苦しかりなん
- `とて妻戸口の板敷を毀ちて其処に下ろさんとしければいと軽らかに下されたればすべなくてその妻戸口一間を板敷など取り退け毀ちて其処に埋みて高々と塚にてあり
- `家の人々もさてあひたまひてあらん物むつかしく覚えて皆外へ渡りにけり
- `さて年月経にければ寝殿も皆毀れ失せにけり
- `いかなる事にかこの塚の傍ら近くは下衆などもえ居つかず
- `むつかしき事あり
- `と云ひ伝へて大方人もえ居付かねばそこはただその塚一つぞある
- `高辻よりは北室町よりは西高辻表に六七間が程は小家もなくてその塚一ぞ高々としてありける
- `いかにしたる事にか塚の上に神の社をぞ一斉すゑてあなる
- `この比も今にありとなん