六八八賀茂の社より御幣紙米等給ふ事
原文
- `今は昔比叡山に僧ありけり
- `いと貧しかりけるが鞍馬に七日参りけり
- `夢などや見ゆる
- `とて参りけれど見えざりければ今七日とて参れどもなほ見えねば七日を延べ延べして百日参りけり
- `その百日と云ふ夜の夢に
- `我はえ知らず
- `清水へ参れ
- `と仰せらるると見ければ明くる日よりまた清水へ百日参るにまた
- `我はえこそ知らね
- `賀茂に参りて申せ
- `と夢に見てければまた賀茂に参る
- `七日と思へども例の夢見ん見んと参るほどに百日と云ふ夜の夢に
- `わ僧がかく参るいとほしければ御幣紙打撒きの米程の物確かに取らせん
- `と仰せらるると見てう打驚きたる心地いと心憂く哀れに悲し
- `所々参り歩きつきるにありありてかく仰せらるるよ
- `打徹きのかはりばかり給はりて何にかはせん
- `我山へ帰り登らんも人目恥かし
- `賀茂川にや落ち入りなまし
- `など思へどまたさすがに身をもえ投げず
- `いかやうに計らはせ給ふべきにか
- `とゆかしきかたもあればもとの山の坊に帰りて居たるほどに知りたる所より
- `物申し候はん
- `と云ふ人あり
- `誰そ
- `とて見れば白き長櫃を担ひて縁に置きて帰ぬ
- `いと怪しく思ひて使を尋ぬれど大方なし
- `これを開けて見れば白き米と善き紙とを一長櫃入れたり
- `これは見し夢のままなりけり
- `さりともとこそ思ひつれこればかりを誠に給びたる
- `といと心憂く思へども
- `いかがはせん
- `とこの米を万づに使ふにただ同じ多さにて尽くる事なし
- `紙も同じ如つかへど失する事なくていと別に煌々しからねどいと裕福しき法師になりてぞありける
- `なほ心長く物参ではなすべきなり