一九九大膳大夫以長前駈の間の事
原文
- `これも今は昔橘大膳亮大夫以長といふ蔵人の五位ありけり
- `法勝寺千僧供養に鳥羽院御幸ありけるに宇治左大臣参り給ひけり
- `前に公卿の車行きけり
- `後より左府参り給ひければ車を抑へてありければ御前の随身下りて通りけり
- `それにこの以長一人下りざりけり
- `いかなる事にか
- `と見るほどに通らせ給ひぬ
- `さて帰らせ給ひて
- `いかなる事ぞ
- `公卿逢ひて礼節して車を抑へたれば御前の随身皆下りたるに未練の者こそあらめ以長下りざりつるは
- `と仰せらる
- `以長申すやう
- `こはいかなる仰せにか候ふらん
- `礼節と申し候は前に罷る人後より御出でなり候はば車を遣りかへして御車にむかへて牛をかき外して榻に頚木を置きて通し参らするをこそ礼節とは申し候ふに前に行く人車を抑へて候ふとも後を向けて参らせて通し参らするは礼節にては候はで無礼をいたすに候ふとこそ見えつれば
- `さらん人にはいかおり候はんずるぞ
- `と思ひて下り候はざりつるに候ふ
- `誤りて然も候はば打寄せて一言申さばやと思ひ候ひつれども以長年老候ひにたれば抑へて候ひつるに候
- `と申しければ左大臣殿
- `いさこの事いかがあるべからん
- `とてあの御方に
- `かかる事こそ候へ
- `いかに候はんずる事ぞ
- `と申させ給ひければ
- `以長ふるさぶらひに候ひけり
- `とぞ仰せごとありける
- `昔はかきはづして榻をば轅の中におりんずるやうに置きけり
- `これぞ礼節にてはあなるとぞ