三一二六晴明を試みる僧の事付晴明蛙を殺す事
原文
晴明を試みる僧の事
- `昔晴明が土御門の家に老しらみたる老僧来たりぬ
- `十歳ばかりなる童部二人具したり
- `晴明
- `何ぞの人にておはするぞ
- `と問へば
- `播磨国の者にて候ふ
- `陰陽師を習はん心ざしにて候ふ
- `この道に殊に勝れておはします由を承りて少々習ひ参らせんとて参りたるなり
- `と云へば晴明が思ふやう
- `この法師は賢き者にこそあるめれ
- `我を心みんとて来たる者なり
- `それに悪ろく見えては悪ろかるべし
- `この法師
- `少し引きまさぐらんと
- `思ひて供なる童は式神を使ひて来たるなめりかし
- `式神ならば召し隠せ
- `と心の中に念じて袖の内にて印を結びて密かに呪を称ふ
- `さて法師に云ふやう
- `とく帰り給ひね
- `後によき日して習はんと述給はん事どもは教へ奉らん
- `と云へば法師
- `あら尊と
- `と云ひて手を摩りて額に当てて立ち走りぬ
- `今はいぬらんと思ふに法師とまりてさるべき所々車宿など覗き歩りきてまた前に寄り来て云ふやう
- `この供に候ひつる童の二人ながら失て候ふ
- `それ給はりて帰らん
- `と云へば晴明
- `御坊は希有の事云ふ御坊かな
- `晴明は何の故に人の供ならん者をば取らんずるぞ
- `と云へば法師の云ふやう
- `更にあが君大きなる理りに候ふ
- `然りながらただ許し給はらん
- `と侘びければ
- `よしよし
- `御坊の人の心みんとて式神使ひて来ることやすからぬ事に覚えつるがこと人をこそさやうには心み給はめ
- `晴明をばいかでさる事し給ふべき
- `と云ひて物読むやうにして暫しばかりありければ外の方より童二人ながら走り入りて法師の前に出で来ければその折法師の申すやう
- `実に心み申しつるなり
- `使ふ事は安く候ふ
- `人の使ひたるを隠す事は更にかなふべからず候ふ
- `今よりは偏に御弟子となりて候はん
- `と云ひて懐より名簿引き出でて取らせけり
晴明蛙を殺す事
- `この晴明ある時広沢僧正の御房に参りて物申し受け給はりける間若き僧どもの晴明に云ふやう
- `式神を使ひ給ふなるは忽ちに人をば殺し給ふや
- `と云ひければ
- `安くはえ殺さじ
- `力を入れて殺してん
- `と云ふ
- `さて虫なんどをば少しの事せんにも必ず殺しつべし
- `さて生くるやうを知らねば罪をえつべければさやうの事由なし
- `と云ふほどに庭に蛙の出で来て五つ六つばかり躍りて池の方ざまへ行きけるを
- `あれ一つさらば殺し給へ
- `こころみん
- `と僧の云ひければ
- `罪をつくり給ふ御坊かな
- `されども心み給へば殺して見せ奉らん
- `とて草の葉を摘み切りて物を読むやうにして蛙の方へ投げ遣りければその草の葉の蛙の上に懸かりければ蛙真平に拉げて死にたりけり
- `これを見て僧どもの色変りて
- `恐ろし
- `と思ひけり
- `家の中に人なきをりはこの式神を使ひけるにや
- `人もなきに蔀を上げ下ろし門を鎖しなどしけり