七一四二増賀上人三条宮に参り振舞の事
原文
- `昔多武峰に増賀上人とて貴き聖おはしけり
- `極めて心武うきびしくおはしけり
- `偏に名利を厭ひて頗る物ぐるはしくなんわざと振舞ひ給ひけり
- `三条大后の宮
- `尼に成らせ給はん
- `とて戒師の為に召しに遣はされければ
- `尤も尊きことなり
- `増賀こそは誠になし奉らめ
- `とて参りけり
- `弟子ども
- `この御使を嗔りて打ち給ひなんどやせんずらん
- `と思ふに思の外に心安く参り給へば有難き事に思ひ合へり
- `かくて宮に参たる由申しければ悦びて召し入り給ひて尼になり給ふに上達部僧ども多く参り集まり内裏より御使など参りたるにこの上人は目は恐ろしげなるが体も貴げながら煩はしげになんおはしける
- `さて御前に召し入れて御几帳のもとに参りて出家の作法してめでたく長き御髪を掻き出だしてこの上人に剪ませらる
- `御簾の中に女房達見て泣く事限りなし
- `剪み果てて出でなんとする時上人高声に云ふやう
- `増賀をしも強ちに召すは何事ぞ
- `心得られ候はず
- `もし陰茎物を大きなりと聞し召したるか
- `人のよりは大きに候へども今は練衣のやうにくたくたとなりたるものを
- `と云ふに御簾の内近く候ふ女房たち外には公卿殿上人僧達これを聞にあさましく目口はだかりて覚ゆ
- `宮の御心地も更なり貴さも皆失せて各身より汗あえて我にもあらぬ心地す
- `さて上人罷り出なんとて袖かき合はせて
- `年まかりよりて風重くなりて今はただ痢病のみつかまつれば参るまじく候ひつるをわざと召し候ひつれば相構へて候ひつる
- `堪へ難くなりて候へば急ぎ罷り出で候ふなり
- `とて出でざまに西の対の簀子に蹲居て尻をかかげて楾の口より水を出だすやうにひりちらす音高く臭き事限りなし
- `御前まで聞ゆ
- `若き殿上人笑ひ喧騒る事おびただし
- `僧達は
- `かかる物狂ひを召したる事
- `と謗り申しけり
- `かやうに事に触れて物狂にわざと振舞ひけれどそれに付けても貴き覚えはいよいよまさりけり