三一六二利宣迷神に逢ふ事
原文
- `今は昔三条院の八幡の行幸に左京属にて邦の利宣といふ者の供奉したりけるに長岡に寺戸といふ所の程いきけるに人どもの
- `この辺には迷神あなる辺ぞかし
- `と云ひつつ渡るほどに
- `利宣もさ聞くは
- `と云ひて行くほどに過もやらで日もやうやうさがれば今は山崎のわたりには行き着きぬべきに怪しう同じ長岡の辺を過ぎて
- `乙訓川のつらを過ぐ
- `と思へばまた寺戸の岸をのぼる
- `寺戸過ぎてまた行きもて行きて乙訓川のつらに来て
- `渡るぞ
- `と思へばまた少し桂川を渡る
- `やうやう日も暮方になりぬ
- `後前見れば供ども人一人も見えずなりぬ
- `後前に遥に打続きたる人も見えず
- `夜の更けぬれば寺戸の西の方なる板屋の軒におりて夜を明かして翌旦思へば
- `我は左京の官人なり
- `九条にて宿るべきにかうまで来つらん
- `極まりて由なし
- `それに同じ所を夜一夜めぐり歩りきけるは九条の程より迷はかし神の憑きて率て来るを知らでかうしてけるなめり
- `と思ひて明けてなん西の京の家には帰り来たりける
- `利宣がまさしう語りしことなり