一〇一八三御堂関白の御犬晴明等奇特の事
原文
- `今は昔御堂関白殿法成寺を建立し給ひて後は日毎に御堂へ参らせ給ひけるに白き犬を愛してなん飼はせ給ひければいつも御身を離れず御供しけり
- `ある日例の如く御供しけるが門を入らんとし給へばこの犬御先に塞がるやうに吠廻りて内へ入奉らじとしければ
- `何条
- `とて車より下りて入らんとし給へば御衣の裾を食ひて引き留め申さんとしければ
- `いかさまやうある事なるらん
- `て榻を召し寄せて御尻を掛けて晴明に
- `きと参れ
- `と召しに遣はしたりければ晴明即ち参りたり
- `かかる事のあるはいかが
- `と尋ね給ひければ晴明暫し占ひて申しけるは
- `これは君を呪詛し奉りて候ふ物を道に埋みて候ふ
- `御越しあらましかば悪しく候ふべき
- `犬は通力の物にて告げ申して候ふなり
- `と申せば
- `さてそれは何処にか埋づみたる
- `顕はせ
- `と述給へば
- `安く候ふ
- `と申して暫し占ひて
- `此処にて候ふ
- `と申す所を掘らせて見給ふに土五尺ばかり掘りたりければ案の如く物ありけり
- `土器を二つ打合はせて黄なる紙捻にて十文字に紮げたり
- `開きて見れば中には物もなし
- `朱砂にて一文字を土器の底に書きたるばかりなり
- `晴明が外には知りたる者候はず
- `もし道摩法師や仕りたるらん
- `糾して見候はん
- `とて懐ろより紙を取り出だし鳥の姿に引き結びて呪を誦じかけて空へ投げ上げたれば忽ちに白鷺になりて南を指して飛び行きけり
- `この鳥の落ちつかん所を見て参れ
- `とて下部を走らするに六条坊門万里小路辺に古りたる家の諸折戸の中へ落入りにけり
- `即ち家主老法師にてありける搦め取りて参りたり
- `呪詛の故を問はるるに
- `堀川左大臣顕光公の相談を得て仕りたり
- `とぞ申しける
- `この上は流罪すべけれども道摩が咎にはあらず
- `とて
- `向後かかる業すべからず
- `とて本国播磨へ追ひ下されにけり
- `この顕光公は死後に悪霊となりて御堂殿辺へは祟を成されけり
- `悪霊左府
- `となづく云々
- `犬はいよいよ不便にせさせ給ひけるとなん