四一八八門部府生海賊射返す事
原文
- `これも今は昔門部府生といふ舎人ありけり
- `若く身は貧しくてぞありけるに真纏を好みて射けり
- `夜も射ければ僅かなる家の葺板を抜きて灯して射けり
- `妻もこの事をうけず近辺の人も
- `哀れよしなき事し給ふものかな
- `と云へども
- `我が家もなくて的射んは誰も何か苦しかるべき
- `とてなほ葺板を灯して射る
- `これを謗らぬ者一人もなし
- `かくするほどに葺板皆失せぬ
- `はてには榱木舞を割り焼きつ
- `また後には棟梁焼きつ
- `後には桁柱皆割り焼く
- `これあさましき物のさまかな
- `と云ひ合ひたるほどに板敷下桁まで皆割り焼きて隣の人の家に宿りたりけるを家主この人の様体を見るに
- `この家も毀ち焼きなんず
- `と思ひていとへども
- `さのみこそあれ
- `待ち給へ
- `など云ひて過ぐるほどに能く射る由聞えありて召し出だされて賭弓仕うまつるにめでたく射ければ叡感ありてはてには相撲の使に下りぬ
- `よき相撲ども多く催し出でぬ
- `また数知らず物儲けて上りけるにかばね島といふ所は海賊の集まる所なり
- `過ぎ行くほどに具したる者の云ふやう
- `あれ御覧候へ
- `あの舟どもは海賊の舟どもにこそ候ふめれ
- `こはいかがせさせ給ふべき
- `と云へばこの門部府生云ふやう
- `男な騒ぎそ
- `千万の海賊ありとも今見よ
- `と云ひて皮子より賭弓の時著たりける装束取り出でて麗しく装束著て冠老懸などあるべき定にしければ従者ども
- `こは物に狂はせ給ふか
- `叶はぬまでも楯つきなどし給へかし
- `と苛めき合ひたり
- `麗しく取り付けて肩ぬぎて馬手後見まはして屋形の上に立ちて
- `今は四十六歩に寄り来にたるか
- `と云へば従者ども
- `大方とかく申すに及ばず
- `とて黄水をつきあひたり
- `いかにかく寄り来にたるか
- `と云へば
- `四十六歩に近づき候ひぬらん
- `と云ふ
- `時に上屋形へ出でてあるべきやうに弓立して弓をさし翳して暫しありてうちあげたれば海賊が宗との者黒ばみたる物著て赤き扇を開き使ひて
- `疾く疾く漕ぎ寄せて乗り移りて移し取れ
- `と云へどもこの府生騒がずして引き堅めてとろとろと放ちて弓たふして見やればこの矢目にも見えずして宗との海賊が居たる所へ入りぬ
- `はやく左の目に平題箭立ちにけり
- `海賊
- `や
- `と云ひて扇を投げ捨てて仰け様に倒れぬ
- `矢を抜きて見るに麗しく戦などする時のやうにもあらず塵ばかりの物なり
- `これをこの海賊ども見て
- `ややこれはうちある矢にもあらざりけり
- `神箭なりけり
- `と云ひて
- `疾く疾く各漕ぎもどりね
- `とて逃げにけり
- `その時門部府生うす笑ひて
- `某等が前にはあぶなく立つ奴ばらかな
- `と云ひて袖うち下して小唾はきて居たりけり
- `海賊騒ぎ逃げけるほどに袋一つなど少々物ども落したりける海に浮びたりければこの府生取りて笑ひて居たりけるとか