現代語訳
- `昔、藤原利仁将軍が若かった頃の話、当時第一の人物のもとに侍として仕えていた折、正月に大饗宴があって、その頃は、大饗が終えると、残飯整理の下衆であるとりばみと呼ばれる者たちを入れず、大饗のお下がりの食事を仕えている侍たちが食べる習わしとなっていた
- `その席には、長年にわたり仕えてきた者の中に得意げにふるまう五位がいた
- `お下がり食事の座で芋粥をすすり、舌鼓を打ち
- `ああ、なんとか芋粥を飽きるほど食いたい
- `と言うと、利仁がこれを聞き
- `大夫殿、まだ芋粥に飽きませんか
- `と訊いた
- `五位が
- `まだ飽きんなあ
- `と言うと
- `飽きさせてあげましょう
- `と言ったので
- `それはありがたい
- `と言ってその場は終わった
- `それから四、五日ほど後、宮殿内の部屋にいたところへ利仁が来て
- `さあ、参りましょう、湯を浴びに、大夫殿
- `と言えば
- `いやそれはありがたい
- `今宵は体が痒かったんだが、乗り物がない
- `と言うので
- `ここに駄馬を引いてきてあります
- `と言えば
- `ああ、ありがたいありがたい
- `と言ったものの、五位は、薄綿の衣二着ほどに、裾の破れた青鈍の指貫、肩が少し落ちた同色の狩衣、下の袴も穿いておらず、高い鼻の先は赤らんでおり、穴の周りが濡れているのは水っ洟を拭わぬからだろうと見える
- `狩衣の背は帯に引き歪められたまま直しもしないので、ひどく見苦しい
- `みっともないが、先に立て、自分も五位も馬に乗ると、賀茂の河原の方へ出た
- `五位には賤しい童の供すらいない
- `利仁のもとには、武具持ちの従者、舎人、雑色が一人ずついた
- `河原を過ぎ、粟田口にさしかかると
- `どこへ行くのか
- `と問うので、ただ
- `ここです、ここです
- `と言って山科も過ぎた
- `どういうことか
- `ここです、ここです、と言いながら山科も過ぎるとは
- `と言うと
- `あそこ、あそこ
- `と言って、逢坂山も過ぎた
- `ここです、ここです
- `と三井寺の知り合いの僧のもとへ行ったので
- `ここに湯を沸かしているのか
- `と思うにつけても
- `物狂おしく遠かった
- `と思いながらも、ここにも湯はありそうになかった
- `どこなんだ、湯は
- `と言うと
- `実は敦賀へお連れするのです
- `と言うので
- `常軌を逸しておられる
- `京にいるときに、そうと言ってくれれば下人なども連れてきたのに
- `と言うと、利仁は嘲笑い
- `私一人がいれば千人力と思われよ
- `と言った
- `そうして、食事を取ると急いで発った
- `その場で利仁は胡録をとって背負った
- `こうして行く途中、琵琶湖畔・三津の浜で狐が一匹走り出てきたのを見て
- `いい使者が現れた
- `と利仁が狐を追いかけたので、狐は身を投げるようにして逃げたが、追い詰められて、逃げ切れなかった
- `馬から体を半ば落として狐の後足を捕らえて引き上げた
- `乗っていたのは優れた馬には見えなかったが、実は逸物で、いくらも間をおかず捕らえた場所に五位が走らせ追いつけば、狐を引き上げ
- `狐よ、今宵のうちにわが家の敦賀に行って
- `急遽客人を連れて下ることになった
- `明日の巳の刻、琵琶湖西岸・高島辺りに、男ども、馬に鞍を置き、二頭引いて迎えに参れ
- `と言え
- `もし言わねば、狐よ、そのときはわかっているな
- `狐は変化の物だ、今日中に到着して伝えよ
- `と言って放ち
- `荒涼の使いですな
- `と言った
- `いま御覧なされ
- `伝えに行かないことはありますまい
- `と言うと、はや狐は、見返り見返り前へと走って行った
- `きちんと行きそうです
- `と言う言葉にあわせ、先立って走り消えていった
- `そして、その夜は途中で宿り、翌朝早く出て行くと、たしかに巳の刻頃に三十騎ほどが一団となってやって来る
- `なんだろう
- `と見れば
- `男どもが迎えに来ました
- `と言うので
- `わかりませんぞ
- `と言っているうちにどんどん近づいて来て、ばらばらと下馬し
- `それ見ろ
- `本当においでであった
- `と言うと、利仁が微笑んで
- `何事か
- `と訊いた
- `年嵩の郎等が進み出
- `不思議なことがございました
- `と言った
- `まず
- `馬はあるか
- `と訊けば
- `二頭ございます
- `と言う
- `食べ物を持って来ていたので、そこに下りて食いながら、年嵩の郎等が
- `昨夜、不思議なことがございました
- `戌の刻頃に、奥方様が胸をきりきりと痛まれたので
- `どうしたことか
- `と、急に
- `僧を召す
- `などとひとしきりお騒ぎになり、ご自身から
- `何を騒がれるか
- `我は狐である
- `他でもない
- `この五日、三津の浜で殿のお帰りにお会いし、逃げたものの逃げ切れず、捕らえられた折
- `今日のうちに我が家へ行き着いて
- `客人を連れて戻る
- `明日、巳の刻に馬二頭に鞍を置き、男ども、高島の津に参上せよ
- `と言え
- `もし今日のうちに行き着いて言わねば、痛い目に遭わせるぞ
- `と仰せになったのだ
- `男ども、すぐすぐ出立せよ
- `遅れたら、我はお叱りを受けてしまう
- `と怖じ騒がれたので、男どもを召し集めましたところ、正気に戻られました
- `その後、鶏の声とともに参ったのでございます
- `と言うと、利仁は微笑み五位と顔を見合わせたので、五位は
- `なんということだ
- `と思った
- `物などを食べ終えて、急ぎ立ち、落日の頃に到着した
- `それ見ろ本当であった
- `などと驚き合っていた
- `五位が馬から下りて家の様子を見るに、富み栄え立派な様子は他に類を見ない
- `今着ている二枚の衣の上に利仁の宿着を着たが、腹がすいていたのでひどく寒く思っていると、長炭櫃に火をたくさんおこしてある
- `畳を厚く敷いて菓子や食べ物を運んできたので愉快に思っていると
- `道中お寒かったでしょう
- `と、綿の厚い練色の衣を三枚重ねて持ってきてかけてくれるものだから、愉快でたまらない
- `食べ物などを食い、一息ついていると舅の有仁が現れ
- `これはまたどうして、このように戻られたのですか
- `これと合わせて、御使いの様子もただごとではなく、奥方の具合が急に悪くなられたのです
- `稀有なこともあるものです
- `と言うと、利仁は微笑み
- `ものの試しと思ってしたことを、本当にやって来て告げたのです
- `と言うと、舅も笑い
- `稀有なことですな
- `と言った
- `お連れになった方はこちらにおいでの殿のことですか
- `と言うので
- `そうです
- `芋粥にまだ飽きない
- `と仰るので、飽かせ奉ろうとお連れしたのです
- `と言うと
- `たやすいことにお飽きにならぬものですな
- `と冗談を言えば、五位が
- `東山に湯を沸かしてあると人を謀っておいてそのように申されるか
- `などと言い戯れ、夜も少し更けたので、舅も部屋へ戻った
- `寝所と思しき所に五位が入り、寝ようとすると、綿が四、五寸ほど詰まった直垂衾があった
- `自分の今の薄い綿は見苦しく、何かいるのか痒いところも出てくる衣なので、脱ぎ置いて、練色の衣三枚の上にこの直垂衾を纏って横になった心地というのはいままで味わったことがなく、のぼせてしまいそうだった
- `汗をかいて臥していると、また傍らに人がいて何かしているので
- `誰か
- `と訊くと
- `御足をほぐせ
- `とのお言いつけでしたので参りました
- `と言う
- `雰囲気が好ましかったので、抱き寄せ、風の通る所で添い寝した
- `そうしていると、声高に何か言う声がする
- `何事だ
- `と聞けば、男が叫んで
- `周辺の下人たち、よく聞け
- `明朝卯の刻までに、切り口三寸、長さ五尺の芋を各自一筋ずつ持って参れ
- `と言っているのだった
- `とんでもなく大げさなことを言うものだ
- `と聞きながら眠った
- `明け方、庭に筵を敷く音が聞こえてきたので
- `何をしているんだろう
- `と聞けば、小屋当番をはじめ皆起き出して蔀を上げている様子だったので、見れば、長筵が四・五枚敷いてある
- `何にするんだろう
- `と見ていると、下衆男が木のような物を肩に担いできて一筋置いていった
- `その後続々と持ってきては置いていくのを見れば、たしかに切り口三寸、長さ五・六尺ほどの芋を一筋ずつ持ってきては置いていくのだが、巳の刻まで置き続け、宿っている建物と同じ高さまで積み上げた
- `夜中の大声は、実は周辺の下人らにできる限り言い聞かすべく
- `人呼びの岡
- `と呼ばれる塚の上で叫んでいたのだった
- `その声が及ぶ範囲にいた下人らが持ってくるだけでさえこれほど多いのである
- `まして、既に座を離れた従者らが多くいることも考えてみるといい
- `なんともすごいものだ
- `見ていると、五石振りの釜を五、六口ほど担いで来て、庭に杭などを打ち込み、据え並べた
- `何にするんだろう
- `と見ていると、白布の襖というものを着て帯を締めた若々しく清らか女たちが白く新しい桶の水を入れて釜にさくさくと注いだ
- `なんだ、湯を沸かすのか
- `と思ったら、この水に見えていたものは味煎であった
- `袂から手を出し、長く薄い刀を持った若い男たちが十人ほど出てきてこの芋を剥き薄切りにするので
- `さては芋粥を煮ていたのか
- `と見るや、食欲を失い、却ってうんざりしてしまった
- `さらさらと煮立てて
- `芋粥ができあがりました
- `と言う
- `さしあげよ
- `と、まず大きな器を運び、続いて一斗ほど入りそうな金属のひさげ三つ四つに入れて
- `どうぞおひとつ
- `と言って持って来たので、うんざりして一盛りも食えず
- `もうたくさんだ
- `と言うと、集まってひどく笑い
- `客人殿のおかげで芋粥が食えました
- `と言い合った