九二七季通殃に逢はんとする事
現代語訳
- `昔、駿河前司・橘季通という者がいた
- `その者が若かったとき、ある身分の高い家に仕える女房のもとへ忍んで通っていたが、そこの侍たちが
- `家の者でもない雑魚六位が朝晩屋敷に出入りして目障りだ
- `こいつを閉じ込めて痛めつけてやろう
- `と集まって算段していた
- `そんなこととも知らず、いつものことなので、小舎人童一人を連れて局に入った
- `童子を
- `明朝迎えに来い
- `と言って帰した
- `痛めつけようとしている連中が様子を伺い見守る中
- `彼奴がやって来て局に入ったぞ
- `と皆に伝え、あらこちの門などを閉ざして鍵をかけ、侍らが、杖を引きずり歩き、築地の崩れのある所に立ち塞がって護っていると、局の女童が感づき、主の女房に
- `このようなことがありましたが、どういうことでしょうか
- `と告げたので、主の女も聞いて驚き、二人して寝ていたが、起きだして、季通も身支度をはじめた
- `女が奥の座敷へ上って尋ねれば
- `侍たちの示し合わせですることではあるけれども、屋敷の主も素知らぬふりをしておいでだ
- `と聞き、途方にくれて、局に帰り、泣いていた
- `季通は
- `これはまいった
- `恥をかかされる
- `と思ったが、なすすべがない
- `女童を呼び出し
- `抜けだせるような隙間はないか
- `と見に行かせたが
- `そのような隙のある所には四・五人ずつ、括り緒で縛って股立ちを上げ、太刀を佩いて、杖を脇に挟んで皆立っているので、出ようがありません
- `と言った
- `この駿河前司はたいへん力が強かった
- `しかたがない
- `夜が明けてもこの局に籠もっていて、引っ張り出そうと入って来た者と組み合って死のう
- `とはいえ、夜が明けて後、誰それだと面が割れてからではまずい
- `従者らを呼びに遣ってでも出て行くとするか
- `と考えていた
- `明朝、童子が迎えに来たとき、何も知らずに門を叩いたりして小舎人童と気づかれ、捕縛されたりはしまいか
- `と、そのことを心配していたので、女童を出して
- `もしかしたら童子の様子を聞きつけるか
- `と窺わせたが、侍らが厳しい物言いをしたので、泣き泣き戻って来て、しゃがみこんでいた
- `そうして
- `夜も明けたかな
- `と思われる頃、この童子が、どうやって入ったのか、忍び込む音がし、侍が
- `誰だ、そこの童子は
- `と気色ばんで詰問したので
- `まずい受け答えなどしまいか
- `と思っていると
- `御読経の僧の童子にございます
- `と名乗った
- `そう名乗られると
- `早く行け
- `と言った
- `うまく言ったものだな
- `ここに寄って、いつもの女童の名を呼ぶかな
- `と、またそれを思っていたが、寄りもせず、通り過ぎていった
- `あの童子も心得ている
- `利発な奴だ
- `それだけ心得ていると、もしかすると、人を謀ることもあるかもしれん
- `と、童子の心を知っているので頼もしく思っていると、大路の方から、女の声で
- `追いはぎよ、人殺し
- `と喚く声がした
- `それを聞いて、立っていた侍たちが
- `それ、捕まえろ
- `面倒はない
- `と言って、皆走りかかったが、門が開かないので崩れた所から走り出て
- `どこへ行った
- `こっちか
- `あっちか
- `と捜し騒いでいる
- `これは童子の計略だな
- `と思い、走り出てみると、錠をさしたことから門を疑いもせず、崩れのもとに連中が集まってなにやら喋っているので、門のもとへと駆け寄り、錠をねじって引き抜いて、開けると同時に走り去り、築地を過ぎるときに童子と出会った
- `連れて三町ほど逃げ延びて、いつものようにゆっくりと歩きながら
- `いったいどうやったのだ
- `と言うと
- `門などはいつもと違うようにされていたうえ、崩れに侍たちが立ち塞がっていて、厳しく問い質されましたので、そこで
- `御読経の僧の童子
- `と名乗りましたら出してくれましたので、そこから出て帰り、なんとかしようと思ったのですが、参ったことをお知らせせねばと思い、声をお聞かせして帰りましたところ、この隣にいる女童が糞をひっていましたので
- `さすがにもうお出になられただろう
- `しゃ頭をつかんねじ伏せて着物をむしり取ると、喚いた声を聞きつけて人々がやって来たので、それを見計らい
- `と思ってこちらへ参り、お会いしたのです
- `と言った
- `童子であってもかしこく利発な者はこんなことをする