七八御室戸僧正の事一乗寺僧正の事

現代語訳

御室戸僧正の事

  1. `これも昔の話、一乗寺僧正、御室戸僧正という三井寺の門流にやんごとない人がいらした
  2. `御室戸僧正は藤原隆家帥の第四子である
  3. `一乗寺僧正は経輔大納言の第五子である
  4. `御室戸を隆明という
  5. `一乗寺を増誉という
  6. `この二人は各々貴くて、生仏である
  7. `御室戸は太っていて、修行ができなかった
  8. `いつも本尊の御前を離れず、夜昼行う鈴の音の絶える時はなかった
  1. `たまたま人が行くってみると、門は常に閉ざしてあった
  2. `門を叩くと、折よく人が出て来て
  3. `誰です
  4. `と問う
  5. `しかじかの人がいらっしゃいました
  6. `とか
  7. `院の御使いでございます
  8. `などと言うと
  9. `お取次ぎします
  10. `と言って奥へ入るが、そこにいる間中、鈴の音がずっと聞こえる
  1. `そうしてしばらくすると、門の閂を外し、扉の片方を人ひとりが入れるくらいに開けた
  2. `覗き見れば、庭は草が生い茂るばかりで踏み分けた跡もない
  3. `草露を分け入り上って見れば、広庇が一間ある
  4. `妻戸に明り障子が立ててある
  5. `だが、煤けてしまっていて、いつ張ったものかもわからない
  1. `しばらくすると、黒染を着た僧が足音もなく現れ
  2. `しばらくそこでお待ちください
  3. `行いの途中なのです
  4. `と言うので待っていると、またしばらくして、内から
  5. `そちらへお入りください
  6. `と言うので、煤けた障子を引き開ければ、香の煙がくゆり出た
  7. `衣はくたびれ果て、袈裟などもところどころ破れ
  8. `ものも言わずにいるので、この人も
  9. `はて
  10. `と思いつつ、向き合い、腕を組み、少し俯き加減でいた
  1. `しばらくすると
  2. `修行によい頃合となりました
  3. `では、急いでお帰りください
  4. `と言うので、言うべきことも言わずに出れば、また門を速やかに閉ざしてしまった
  5. `彼はひたすら引き籠もり修行する人である

一乗寺僧正の事

  1. `一乗寺僧正は、大峰は二度通られた
  2. `蛇を見る法を行われた
  3. `また、龍の駒などを見るなどし、あられもない有様で修行した人である
  4. `僧坊は一・二町にわたって人々が寄りひしめき、田楽や猿楽などがひしめき、随身や衛府の男たちなども出入りひしめくほどである
  5. `物売りたちも入って来ていたが、鞍や太刀など様々なものを言い値で買っていたので、市をなして集まってきた
  6. `そして、この僧正のもとに世の宝が集まった
  1. `また、呪師小院という童を可愛がっていた
  2. `鳥羽の田植えの者にみつきしていた
  3. `以前杭に乗りながらみつきをしていたのを、この田植えの者に僧正が話をつけ、近頃するように肩に立ち立ちして小幅から出たりすれば、それを見た大勢の人も驚き驚き合った
  1. `この童を寵愛するあまり
  2. `つまらん
  3. `法師になって夜昼離れずそばにおれ
  4. `と言えば、童は
  5. `いかがなものでしょう
  6. `いましばらくこのようにしてはおれませんか
  7. `と言ったが、僧正はどうにも可愛くて
  8. `よいからなれ
  9. `と言ったので、童はしぶしぶ法師になった
  1. `そうして日が過ぎ、春雨が降って手持ち無沙汰だったので、僧正は人を呼び
  2. `あの僧の装束はあるか
  3. `と訊くと
  4. `納殿にまだございます
  5. `と言うので
  6. `取って来い
  7. `と言った
  8. `持ってきたのを
  9. `これを着よ
  10. `と言うと、呪師小院は
  11. `見苦しゅうございます
  12. `と拒んだが
  13. `よいから着よ
  14. `と強いたので、片隅へ行って装束を着、かぶとをして出て来た
  15. `昔と少しも変わらない
  16. `僧正はそれを見てべそをかいた
  1. `小院がまた面変わりして立っていると、僧正が
  2. `まだ走り手は覚えているか
  3. `と言ったので
  4. `覚えておりません
  5. `ただし、できるのはかたさらはです
  6. `よく訓練してきたことなので、少し覚えております
  7. `と言うと、笙の中を割って通るほどのところを走り飛んだ
  8. `兜を持って一拍子に渡るのを見て、僧正は声をあげて泣かれた
  9. `そうして
  10. `こっちへ来い
  11. `と呼び寄せて、撫でながら
  12. `どうして出家させてしまったのだろう
  13. `と泣かれると、小院も
  14. `ですから、いましばらくお待ちくださいと申しましたのに
  15. `と言ったので、僧正は装束を脱がせ、障子の内側へ連れて入った
  16. `その後は、どんなことがあったのかわからない