一八三広貴妻の訴へに依りて閻魔王宮へ召さるる事
現代語訳
- `これも昔の話、藤原広貴という者がいた
- `死んで、閻魔の庁に召し出され、閻魔大王の御前と思しきところへ参ると、王が
- `おまえの子を孕み、産みそこねた女が死んだ
- `地獄に堕ちて、苦を受けているさなか、愁訴があるというので、おまえを呼んだ
- `まず、そうした事実はあるか
- `とお尋ねになったので、広貴は
- `はい、ございました
- `と述べた
- `王が
- `妻の訴えによれば
- `私は、男と連れ添い、共に罪をつくり、しかも、夫の子を産みそこね、死んで地獄に堕ち、このような耐え難い苦を受けておりますのに、夫は少しも私の後世を弔ってはくれません
- `ならば私一人が苦を受けるいわれはありません
- `広貴もお召しになり、同じように苦しみをお与えください
- `と申すので呼んだのだ
- `と仰せになったので、広貴が
- `この訴え、もっともでございます
- `公私において、生活を営む間、思いはしながらも、後世の弔いもせず、日々をむなしく過ごしております
- `しかし今、共に召されて苦を受けましても、妻の苦が解かれるわけではありません
- `それならば、この度はお許しいただき、娑婆に戻りまして、妻のためにすべてを捨てて、仏経を書き供養して弔います
- `と言うと、王は
- `しばし待て
- `と仰せになり、その妻を呼び出し、おまえの夫・広貴の言い分をお尋ねになると
- `たしかに経仏を書き供養しよう
- `と申しておりますので、すぐお許しください
- `と答えたので、また広貴を呼び出して、申すままのことをお聞かせになり
- `では、今回は帰ってよい
- `しかし必ず、妻のために、仏経を書き供養して弔うのだぞ
- `と、帰された
- `広貴は、そうはいうものの、ここがどこで、誰が言われたのかもわからない
- `許されて、座を立って帰る途中
- `この玉の簾の内においでになり、このようにものの沙汰をし、自分を帰された人はどなたなのか
- `と、とても気がかりになったので、再び参上し、庭にいると、簾の中から
- `広貴は、帰してやったのではなかったか
- `どうして、また参ったのか
- `と尋ねられたので、広貴は
- `思いがけなく御恩をこうむり、なかなか戻れぬ娑婆へお戻し下さるようなご沙汰を、どのような方が仰せられたのかも知らずに帰ってしまうことは、実に心が晴れず、残念に思われたので、おそれながら、それをお伺いしたく、再び参上したのです
- `と言うと
- `おまえは不覚者だ
- `閻浮提では、我を地蔵菩薩と言う
- `と仰せになるのを聞き
- `さては、閻魔大王というのは地蔵でいらしたのか
- `ではこの菩薩に仕えれば地獄の苦を免れることができよう
- `と思ううち、三日後に生き返り、その後、妻のために仏経を書き供養したという
- `大日本国法華経験記に記されているという