三八五留志長者の事
現代語訳
- `昔、天竺に留志長者という世にも裕福な長者がいた
- `数え切れないほどの蔵を持ち、裕福であったが、けちで、妻子にもましてや従者にも、ものを食わせたり着物を着せたりすることがなかった
- `自分が何か欲しいときには、人にも見せず、隠して食うのだったが、思う存分欲しかったので、妻に
- `飯、酒、果物などをたっぷり用意してくれ
- `おれに憑いて物惜しみをさせる慳貪の神を祀るのだ
- `と言うと
- `物を惜しむ心をなくそうとは
- `それはよいことです
- `と喜び、様々に調理して存分に渡すと、それを受け取り
- `人も見ない所へ行って、ゆっくり味わって食おう
- `と思い、外居に入れたり瓶子に酒を入れたりして持ち出した
- `この木のもとには鳥がいる
- `あそこには雀がいる
- `と選んで、人里離れた山中の木陰の鳥獣もいない所で一人食っていた
- `そのときの楽しいことといったら他に例えようもなく、こう誦した
- `今昿野中
- `食飯飲酒大安楽
- `なほ過毘沙門天
- `勝天帝釈
- `これは
- `今日、人のいない所に一人いて、ものを食い、酒を飲む
- `安楽なること、毘沙門天、帝釈天にも勝りたり
- `という意味で、それを帝釈天が御覧になっていた
- `憎いと思われたのか、留志長者の姿に化けられてかの家においでになり
- `我が山で物惜しむ神を祀ったご利益か
- `その神が離れ、ものが惜しくなくなったので、こうするぞ
- `と蔵を開けさせ、妻子をはじめ、従者ら、またよその人々、修行者、乞食にいたるまで、宝物を取り出して、配り与え、皆が喜んで分け合っていると、そこに本物の長者が帰ってきた
- `蔵などをすべて空けて、このように宝などを人々が取り合っているので、驚きのあまりその悲しさは言葉にならない
- `どうしてこんなことをするのか
- `とわめき騒ぐ一方、己とまったく同じ姿の人が現れてこうしているので、不思議で仕方がない
- `あれは変化の者だぞ
- `おれこそ本物だ
- `と言ったが、聞き入れる者はなかった
- `帝に訴れば
- `母に尋ねよ
- `と言う仰せがあり、母に尋ねれば
- `人にものを与える人こそ我が子であろう
- `と言うので、らちが開かない
- `腰の辺りに、あざのようなものの痕があります
- `それを目印にしてください
- `と言ったので、開けて見たが、帝釈天が真似されないはずがない
- `二人とも同じようにものの痕があったので、見分けようがなくて、仏のもとへ二人とも参れば、帝釈天は元の姿になって、御前にお出ましになった
- `論じ申すべきすべがない
- `と思っていると、仏の御力によってたちまち須陀洹果を証し、悟りの境地に入ったので、悪しき心が離れ、ものを惜しむ心も失せた
- `このように帝釈天が人を導かれることは計りしれない
- `理由もなく長者の財を失わせようなどとなぜ思し召されるであろうか
- `慳貪の業により地獄に落ちるべきところを哀れに思われるお志によって、このように取り計らわれたことこそありがたいことである