現代語訳
- `昔、天竺に僧伽多という人がいた
- `五百人の商人を船に乗せて金銀のある津へ向かう途中、にわかに悪い風が吹き、矢を射るがごとき速さで船を南の方へ運んだ
- `知らない世界に吹き寄せられ、陸に着いたのを幸いと、ためらわず皆慌てて降りた
- `しばらくすると実に美しい女たちが十人ほど現れ、歌を歌いながら通り過ぎる
- `見知らぬ土地に来て心細い思いをしていたところにこのような素晴らしい女たちを見つけたので、喜んで呼び寄せた
- `呼ばれてやって来た
- `さらに近づいて見れば、その愛らしいこと他に類がない
- `五百人の商人は目をつけて可愛がることこの上ない
- `商人が女に
- `我らは宝を探すために出かけたが、悪い風に遭って見知らぬ土地に来てしまった
- `辛い思いをしていたときにそなたたちを見て、憂鬱な気持ちもすっかり消えてしまった
- `どうかすぐに連れて行って、我らを養ってほしい
- `船は全部壊れて、帰る手立てがないのだ
- `と言うと、女たちは
- `それではどうぞいらしてください
- `と言い、先に立って導いた
- `家に着いて見れば、白く高い築地を遠くまで廻らせ、厳めしい門を建ててあった
- `その内へと連れて入った
- `そして門の錠を閉ざした
- `内へ入って見るとさまざまな建物が点々と建っている
- `男は一人もいない
- `そこで、商人たちは面々女を選んで妻にして住んだ
- `そしてこの上なく愛し合った
- `片時も離れ難い気持ちで暮らしていたが、この女たちは毎日長い昼寝をする
- `顔は可愛らしいが、寝入るたびに少し疎ましく見える
- `僧伽多はこの疎ましさを見て、どうも怪しく思えたので、そっと起きてあちこちを見ると、さまざまな仕切がある
- `ここにひとつの仕切があった
- `築地を高く廻らせてある
- `戸には錠がしっかりと鎖してある
- `そばから登って内部を見ると人が大勢いた
- `あるいは死に、あるいは呻き声を上げている
- `また、白い屍や赤い屍もたくさんあった
- `僧伽多が、一人の生存者を招き寄せ
- `これはどんな人がここにいるんだ
- `と問うと
- `私は南天竺の者です
- `商いのために海を渡っていたとき、悪い風に吹かれてこの島に来れば、世にも美しい女たちに謀られて、帰ることも忘れて暮らしていましたが、生まれてくる子はすべて女でした
- `この上なく幸せに思って暮らしていましたが、また別の商人船が寄って来ると、これまでいた男たちをこのようにし、日々の食糧に充ててきたのです
- `あなた方も次に船が着たら同じ目に遭うでしょう
- `なにがなんでも急いでお逃げなさい
- `この鬼は昼六時間ほど昼寝をします
- `その間にうまくすれば逃げられるかもしれない
- `この閉じ込められた四方は鉄で固めてあります
- `私は踵骨腱を切られてしまったので逃げられないのです
- `と泣く泣く言うので
- `おかしいとは思っていた
- `と戻り、他の商人らにもこの由を語ったところ、皆驚きうろたえて、女の寝た隙に、僧伽多をはじめ、残らず浜へと向かった
- `遥か天竺南端の補陀落世界の方に向かい、みんなで声をあげ、観音を念じると、沖の方から大きな白馬が波の上を泳ぎ、商人らの前に来て伏せた
- `これは祈りの通じたしるしだ
- `と思い、皆残らずすがりついて乗った
- `さて、女たちが起きて見ると男たちが一人もいない
- `さては逃げたな
- `と残らず浜へ出てみれば、男たちはみな葦毛の馬に乗って海を渡って行く
- `女たちはたちまち身の丈一丈ほどの鬼と化し、四・五十丈躍り上がり、叫び騒げば、この商人の中に女がこの上なく愛らしかったことを思い出す者が一人いて、誤って海に落ちてしまった
- `すると、羅刹どもは奪い合ってこれを引き裂いて食ってしまった
- `二年後、この羅刹女の中にいた僧伽多の妻が、僧伽多の家へやって来た
- `以前よりさらに美しくなっていて、言いようもなく愛らしくなっていた妻は、僧伽多に向かい
- `あなたとはこうなる前世の契りか、殊に仲睦まじいと思っておりましたのに、このように捨てて行くとは、なにをお思いなのですか
- `わが国にはああいうものが時々現れて人を食います
- `だから錠をしっかり閉ざし、築地を高く築いてあるのです
- `そこへ、あのように人が大勢浜へ出て騒ぐものだから、声を聞きつけた鬼たちが来て起こった姿を現したのです
- `決して私たちの仕業ではありません
- `帰られて後、あまりに恋しくて悲しくて
- `あなたは同じ心にもなりませんか
- `と言ってさめざめと泣いた
- `いい加減な人の心には
- `そうかもしれない
- `と思えたであろう
- `しかし、僧伽多は大いに怒り、太刀を抜いて殺そうとした
- `ひどく恨んで僧伽多の家を出ると、内裏に参り
- `僧伽多は私の長年の夫です
- `にもかかわらず私を捨てて暮らしてくれないことを誰に訴えたらよいのでしょうか
- `帝、これをお裁きください
- `と言うと、公卿や殿上人らの中で女に心奪われない者はなかった
- `帝がそれを聞いて覗き、ご覧になれば、言葉を失うほどに美しい
- `そのあたりの女御や后など皆土くれのようである
- `この女は玉のようである
- `こんな女と暮らさぬとは、僧伽多の心はどうなっておるのか
- `と思い、僧伽多を召してお尋ねになると、僧伽多は
- `あの女は、決して御内へ入れたり、愛でたりするべきものではありません
- `ひどく恐ろしい者なのです
- `忌々しき問題が起こりましょう
- `と言って退いた
- `帝はこの由をお聞きになり
- `この僧伽多というのは話をするのも無駄な者だ
- `よし、後ろの方より入れよ
- `と蔵人に命じると、夕暮れ頃に参上させた
- `帝がそばへ召して見ると、雰囲気、体つき、容貌、物腰など、香り立つようで愛らしいことこの上ない
- `その後、二人が床に臥されると、二日・三日までお起きにならなかった
- `世の政さえほったらかしになされた
- `こうして三日目となる朝、御格子もまだ上がらない時分に、この女が夜の御殿から出て立っているのを見れば、目つきも変わり、世にも恐ろしげであった
- `口に血がついていた
- `しばし周囲を見回すと、軒から飛ぶようにして雲へ入り消え失せた
- `人々がこの由を伝えようと夜の御殿に参ると、御帳の中から血が流れ出ていた
- `怪しんで御帳の内を見ると、赤い頭ひとつだけが残っていた
- `他にはなにもなかった
- `そして、宮殿内は大騒ぎになることこの上ない
- `臣下の男女は限りなく泣き悲しんだ
- `御子の皇太子がただちに帝位に就いた
- `僧伽多を召して事の次第を尋ねると、僧伽多が
- `
- `今は宣旨をいただき、これを討伐します
- `と奏すので
- `申すままに仰せが下ろう
- `とのことだったので
- `剣の太刀を携えた兵を百人、弓矢を帯びた者百人を早船に乗せて出動させてください
- `と言えば、そのとおりに整えて送り出した