一九二五色鹿の事
現代語訳
- `これも昔、天竺に、五色の体をし白い角を持った一頭の鹿がいた
- `深い山にだけ住んでいたので、人には知られずにいた
- `その山の辺りに大きな川があった
- `その山には烏がいて、この鹿を共として過ごしていた
- `ある時、この川に男が一人流れてきて、溺死しかけていた
- `誰か助けてくれ
- `と叫ぶと、鹿がその叫び声を聞き、かわいそうでたまらなくなり、川を泳いで近づくと、男を助けた
- `男は、生き延びられたことを喜んで、手をすり合わせ、鹿に向かって
- `何をもってこの恩に報いればよいでしょうか
- `と言った
- `鹿が
- `なにか恩返しをしてくださろうというのですか
- `では、この山に私がいることを決して人に話さないでください
- `私は五色の体をしています
- `人に知られれば、革を取ろうとして、殺されてしまうでしょう
- `それが恐ろしいのでこんな深い山奥に隠れて、人に見つからないようにしているのです
- `けれども、あなたが叫ぶ声がかわいそうで、身の後先も考えずに助けたのです
- `と言うと、男は
- `それは、実にもっともなことです
- `決して他言はしません
- `と念を押して約束を交わし帰っていった
- `もとの里へ帰って月日を送っても、決して人には話さなかった
- `そんな折、国の后が大鹿の夢を見た
- `五色の体で白い角があった
- `目覚めて後、大王に
- `こんな夢を見ました
- `その鹿は、きっとこの世にいるでしょう
- `大王、必ず探し出して私に下さい
- `と伝えられると、大王が
- `五色の鹿を探し捕ってきた者には、金銀、珠玉などの宝に加え、一国を与えよう
- `と宣旨を出されたのでこの助けられた男が内裏へ参上し
- `お尋ねの色の鹿はこの国の山奥におります
- `居場所を知っています
- `狩人をお借りし、捕らえて参りましょう
- `と奏すので、大王はたいへん喜ばれ、自ら多くの狩人を従え、この男に道案内をさせて向かわれた
- `その山奥に入った
- `鹿は何も知らずに洞穴の中で横になっていた
- `友の烏が、これを見てひどく驚き、大声で鳴きながら耳をくわえて引っぱると、鹿は目を覚ました
- `烏は
- `国の大王が多くの狩人を引き連れ、この山を取り巻いて、殺しに来る
- `もう逃げられない
- `どうする
- `と言って、泣き泣き去っていった
- `鹿は驚きながらも、大王の御輿のもとへ歩み寄れば、狩人らは矢をつがえて射ようとした
- `大王はこう命じられた
- `鹿が恐れずこちらにやって来る
- `なにかわけがありそうだ
- `射てはならぬ
- `そのとき、狩人らが矢を外して見れば、鹿は御輿の前にひざまずき
- `私はこんな色の体をしているために人を恐れ、この山奥に隠れ住んでおります
- `にもかかわらず、大王はどうして私の居場所をご存知なのですか
- `と言うので、大王は
- `この輿のそばにいる顔に痣のある男が教えたので来ることができた
- `鹿が見ると、顔に痣がある男が御輿のそばにいた
- `自分が助けた男であった
- `鹿はその男に向かって
- `命を助けたとき、この恩は何をもってしても報い難いと言っていたので、ここに私がいることを人に語らないでくれと何度も約束をした
- `それなのに、今その恩を忘れ、私を殺させようとしている
- `おまえが溺れて死にかけたのを、私が命を顧みず泳ぎついて助けたとき、おまえはこの上なく喜んだことを覚えているだろう
- `と、深く恨んだ様子で、涙を流して泣いた
- `それを見て、大王も同じく涙を流し
- `おまえは畜生ではあるが、慈悲をもって人を助けた
- `その男は欲に目がくらんで恩を忘れた
- `畜生というべき奴だ
- `恩を知ってこそ人間である
- `と言い、その男を捕らえると、鹿の目の前で、首を刎ねさせた
- `そして
- `以後、国内で鹿を狩ることはない
- `もしこの宣旨に背き、一頭の鹿でも殺す者があれば、速やかに死罪に処されるであろう
- `と言って帰っていった
- `その後より、天下は泰平に、国土は豊かになったという