二九三播磨守為家の侍佐多の事
現代語訳
- `昔、播磨守為家という人がいた
- `その部下に取柄もない侍がいた
- `通称を
- `さた
- `と言うが、本名を呼ばず、主も仲間もただ
- `さた
- `とだけ呼んだ
- `たいしたこともないが、よく使われて長年になるので、田舎の郡の出納などを命じると、喜んでその郡に行き、郡司のもとに泊った
- `仕事の沙汰などを言い、沙汰して四・五日ほど後に帰京した
- `この郡司のもとに、京からさまよい出、人に騙されてやって来た女房がおり、気の毒に思って養い、縫い物などをさせて使っていたが、そうしたことなども心得があるので、すぐれた人だろうと思って住まわせていたところ、この佐多に従者が
- `郡司の家に京の女房という美人で髪の長い女がいるのを、殿にもお知らせにならず、隠し置いてますよ
- `と語ると
- `妬ましい
- `おまえ、あそこにいた時には言わずに、ここでこう言うとは腹立たしい
- `と言ったので
- `いらしていた傍らにあった板塀を隔てて、その向こうにいたので、ご存知かと思っていました
- `と言うと
- `今度は暫く行くまいと思っていたが、暇をもらい、すぐ行って、その女房をかわいがってやろう
- `と言った
- `そして、二・三日ほどあって、為家に
- `沙汰すべきことがあったのですが、沙汰の途中で戻って来てしまいました
- `お暇をいただいて参ろうと思うのですが
- `と言うと
- `用事を沙汰している途中でなぜ戻ってきたのか
- `急いで行け
- `と言ったので、喜んで下った
- `行き着くままに、言葉も取り交わさず、昔からの顔見知りでさえ無沙汰であったらそうはすべきでないのに
- `従者などに対するように、着ていたくたびれ綻んでいる水干を切掛け越しに投げると、声高に
- `これの綻びを縫ってよこせ
- `と言ったところ、程なく投げ返してきたので
- `縫い物をすると聞いてはいたが、この女人は本当に速く縫ってよこした
- `と、荒々しい声で褒め、取って見れば、綻びは縫わず、陸奥紙の文をそのほころびのもとに結わえつけて投げ返したのだった
- `不思議に思って広げて見るとこう書いてあった
- `私の身は竹の林でないけれど さたが衣を脱ぎ掛けるかな
- `と書いてあるのを見て
- `見事なものだ
- `と感じ入るどころか、見るままに大いに腹を立て
- `目のつぶれた女人だ
- `綻びを縫わせれば、綻びの切れた所すら見つけることもできぬし
- `さたの
- `と言うべきなのに、たいへん畏れ多い守殿でさえ、いまだに、この長い年月において、そうお呼びにならぬ
- `それを、この女め
- `さたが
- `と言うとは何事か
- `この女にきっちり教えてやる
- `と言って、口に出すのも恥ずかしい部分を
- `ああしてやる、こうしてやる
- `と激しく罵ったので、女房はわけがわからず泣いてしまった
- `腹を立て当り散らして、郡司にさえも
- `さあ、このことを申しあげて、とっちめてやる
- `と言えば、郡司も
- `つまらぬ女を憐れんで置いたせいで、しまいには勘当されることになってしまう
- `と言ったので、二人に対し、女はひどく申し訳なく思うのだった
- `こうして腹を立てて叱り、京へ帰って、侍所で
- `腹の立つことがあった
- `わけもわからぬ腐れ女にひどく言われたわい
- `国守殿でさえ
- `さた
- `と言って召されるのに
- `あの女め
- `さたが
- `などと言う道理があるか
- `と、ひたすら腹を立てまくったが、聞く人どもは得心がいかなかった
- `さて、どのようなことをされて、そう言うのか
- `と問えば
- `聞いてくだされ、申そう
- `このようなことは、誰も同じ気持ちになって守殿にも申してくだされ
- `諸君の名折れでもあるぞ
- `と言ってありのままを語れば
- `はてさて
- `と言って笑う者もあった
- `憎らしがる者も多かった
- `女を皆気の毒がり、殊勝だと思った
- `これを為家が聞き、前に呼んで問うたので
- `我が訴えが聞き入れられた
- `と喜び、仰々しく得意がって言えば、よく聞いて後、その男を追放してしまった
- `女を気の毒に思って、物を与えたりなどした
- `その心から身を失ってしまった男である