六一〇四猟師仏を射る事
現代語訳
- `昔、愛宕山に長く修行している聖がいた
- `長年修行し、坊を出ることはなかった
- `西の方に猟師がいた
- `この聖を尊んで、常に参って食物を奉りなどしていた
- `久しく参らなかったので、餌袋に干飯などを入れて訪ねた
- `聖は喜んで、日頃のおぼつかなさなどを語った
- `そのうちに近寄って
- `このほど、実に尊いことがあった
- `長いこと他念なく経を誦し奉るご利益か、この頃夜になると普賢菩薩が象に乗ってお見えになる
- `今宵留まって拝みなされ
- `と言うので、この猟師は
- `世にも尊いことでございますな
- `それでは泊まって拝み奉りましょう
- `と言って留まった
- `そして聖の使う童子がいたので
- `聖が仰ることはどういうことか
- `おまえもこの仏を拝み参らせたのか
- `と問えば、童子は
- `五・六度見奉りました
- `と言うので、猟師は
- `自分も見奉ることもあるのだろうか
- `と、聖の後ろに寝もやらず起きていた
- `九月二十日のことなので、夜も長い
- `いまやいまやと待つほどに、夜半も過ぎたかと思う頃、東の山の峰から月の出るように見え、峰の嵐もすさまじく、坊の内に光が差し込むようにして明るくなった
- `見れば普賢菩薩が白象に乗って静々とお出ましになり、坊の前にお立ちになった
- `聖は泣く泣く拝み
- `そなたは拝み奉っているか
- `と言うので
- `もちろんです
- `童子も拝み奉っております
- `はいはい
- `実に尊いことです
- `と言いつつも、猟師は
- `聖は長年ずっと経を誦されてきたから、その目にだけお見えになったのならわかる
- `だが、童子やおれのような者などは経の向いている方向もわからないのに、お見えになったというのはどうも得心がいかん
- `と心の内に思い
- `確かめてみよう
- `これは罪を被るべきことではない
- `と思って、尖り矢を弓に番えて聖の拝み入っている上から頭越しに弓を強く引き、ひょうと射れば、御胸の辺りに中ったらしく、火を打ち消すように光も消えた
- `谷へとどろき、逃げ行く音がする
- `聖が
- `なんということをしてくれたのだ
- `と言って泣き惑うことこの上ない
- `男は
- `聖の目にこそお見えになりましょう
- `自分のような罪深い者の目にもお見えになったので、確かめてみようと思って射たのです
- `本物の仏であれば、矢など刺さるはずがありません
- `ゆえに、怪しい物です
- `と言った
- `夜が明けてから、血の跡をつけてみれば、一町ほど行った谷の底に大きな狸が胸を尖矢で射抜かれて死に横たわっていた
- `聖であっても無知だとこのように化かされるのである
- `猟師であっても思慮があったがゆえに、狸を射殺し、化けの皮を剥がせたのである