現代語訳
- `道則は寝つけずにいたので、そっと起き出し、辺りを歩いていると、屏風を立て回し、畳などをきれいに敷き、火を灯し、みな小奇麗に設えてあるのが見えた
- `香を焚いているのか、芳しい香りが漂ってくる
- `いよいよ心惹かれ、よく覗いて見れば、年頃二十七くらいの女が一人いた
- `容姿の実にすばらしい女がただ一人臥している
- `見るほどにじっとしていられなくなった
- `周囲には人もいない
- `火は几帳の外に灯してあるので明るかった
- `そこで道則は
- `この上なくねんごろにもてなし思いやってくれた郡司の妻に対して、後ろめたい心を抱くのは気の毒だが、この人の佇まいを見てしまってはもはや辛抱できない
- `と思い、傍らに寄り添い臥せば、女はにくらしくも驚かず、口を覆って笑い臥している
- `言いようもなく嬉し思うそのときは、九月十日頃のことで、衣もあまり着ておらず、男も女も重ね一枚だけを着ていた
- `芳しいことこの上ない
- `自分の衣を脱ぎ女の懐に入ろうとすると、しばらくは引き塞ぐような仕草をしたが、あながちに嫌がりもしないので、抱き寄せた
- `男の陰茎にむず痒さを感じ、探ってみると物がない
- `驚き怪しんでよくよく探ったが、下顎のひげを探るようで跡形もない
- `ひどく驚いて、女の愛らしさもすっかり忘れてしまった
- `男が探ってうろたえているのに、女は少し薄笑みを浮かべているので、いよいよわけがわからなくなり、こっそり起きて自分の寝床へ戻り、探ってみたが、やっぱりない
- `あまりのことにあきれ、側近の郎等を呼び、事情は語らず
- `ここにいい女がいる
- `おれも行ってきた
- `と言うと、喜んでこの男は出かけていったが、しばらくすると、世にもあさましげな表情で男が戻ってきたので
- `これもそうか
- `と思い、また別の男を行かせてみた
- `これもしばらくしてやって来た
- `空を仰ぎ、まったくわけがわからぬような表情で戻ってきた
- `このようにして七、八人の郎等を行かせてみたが、みな同じ様子であった
- `そうこうするうちに夜も明けてきたので、道則が
- `宵に主がねんごろにもてなしてくれたのを嬉しく思ったが、こんなわけのわからぬあさましいことがあってはすぐ出たほうがいい
- `と思い、まだ明けきらぬうちに急いで出ると、七・八町ほど行ったあたりで後ろから呼びながら馬を馳せて来る者があった
- `追いつくと、白い紙に包んだ物を差し上げて持って来た
- `馬を控えて待ってみれば、泊まった屋敷に仕えている郎等であった
- `これは何か
- `と問えば
- `郡司が
- `お渡しせよ
- `とよこしたものでございます
- `このようなものをどうして捨てておいでになったのですか
- `作法に従って朝食をご用意しておりましたが、お急ぎのあまりこれさえも落として行かれました
- `ですので、拾い集めてお持ちしたのです
- `と言うので
- `で、何か
- `と取って見れば、松茸を包み集めたようにして物が九つあった
- `驚きあきれ、八人の郎等らも怪しんで見れば、たしかに九つの物があった
- `それが一瞬にさっと消え失せた
- `そして、使者はそのまま馬を走らせて帰っていった
- `その折、自分をはじめ郎等らまでが皆
- `ある、ある
- `と言った
- `さて、奥州で金を受け取って帰る時、また信濃の例の郡司のもとへ行って宿った
- `そして郡司に金、馬、鷲の羽根などをたくさん渡した
- `郡司はこの上なく喜んで
- `これは、どうしてこのようなことをしてくださるのですか
- `と言うので、近くに寄り
- `どうも話しにくいことなのですが、初めてこちらへ参りましたときに怪しいことがありまして、あれはいったいどういうことなのかと
- `と言うと、郡司は、物をたくさんもらっていたので断り難く思い、ありのままに言った
- `実は、若い時分、この国の奥の郡に郡司おりまして、年老いていましたが、妻は若く、忍んで通っておりますと、このように失ってしまったので、怪しく思い、その郡司をねんごろにもてなして教わったのです
- `もし習おうとお思いなら、この度は公のお使いです
- `速やかに上られ、改めて下られてからお習いください
- `と言ったので、その約束をして、京へ上って金などを渡し、暇をもらって下ってきた
- `郡司に、しかるべき物などを持って下り、手渡せば、郡司はたいへん喜んで
- `心の及ぶ限りは教えよう
- `と思い
- `これは、いい加減な心で習うものではありません
- `七日間、沐浴をし、精進して習うことです
- `と言った
- `その言葉どおりに身を清め、その日になると、ただ二人連れ立って深い山へと入った
- `大きな川の流れるほとりへ行って、様々なことに対し、並々ならぬ罪深い誓言などを立てさせた
- `そして、郡司は水上へ入る
- `その川上から流れてくるものを、必ず必ず、鬼であろうと何であろうと、抱きなさい
- `と言って進んでいった
- `しばらくすると、水上の方から、雨が降り風が吹き、暗くなり、水嵩が増した
- `またしばらくすると、川から頭が一抱えほどもある大蛇が現れ、目は鋺を入れたように、背中は青く紺青を塗ったように、首の下は紅のように見えるので
- `まず来たものを抱け
- `とは言われたが、どうしようもなく恐ろしくて草の中に臥していた
- `しばらくすると郡司が来て
- `どうですか
- `取りましたか
- `と言うので
- `これこれに思えたので、取らなかった
- `と言うと
- `なんとも残念です
- `では、このことは習えません
- `と言い
- `もう一度試します
- `と言ってまた入った
- `しばらくすると、八尺ほどの猪が現れ、石をばらばらと砕き、火をきらきらと吹いた
- `毛を逆立てて走りかかってくる
- `どうしようもなく恐ろしかったが
- `これも抱けぬか
- `と思いきって走り寄り、抱いてみれば、三尺ほどの朽木を抱いていた
- `癪に障り、悔しいことこの上ない
- `はじめのもこのようなものだったに違いない
- `なぜ抱かなかったのか
- `と思っているところへ郡司が来た
- `どうですか
- `と問うので
- `しかじか
- `と言えば
- `前の物を失いなさることは習われませんでした
- `しかし、それ以外の、別のつまらぬ物をなにかにすることは習われたようです
- `では、それを教えます
- `と、教えられて京へ帰った
- `口惜しいことこの上なかった