日本古典文学摘集宇治拾遺物語巻第十ノ一伴大納言応天門を焼く事現代語訳

現代語訳

`昔、清和天皇の時代に、応天門が焼けた
`人が火をつけたのである
`それを、伴善男という大納言が
`これは源信大臣の仕業です
`と、朝廷に申し出、その大臣を罰せさせようとなさったとき、藤原良房公は、世の政を弟の西三条の右大臣・藤原良相に譲り、白河に隠居しておられたので、このことを聞いて驚かれ、烏帽子直垂のまま移し馬に乗って北の陣へ行き、帝に向かい
`このことは、申す者の讒言でありましょう
`大臣の処罰など、正気の沙汰ではありません
`そうしたことは、よくよく吟味し、真か偽りかを明白にしてから、行うべきです
`と奏されると
`たしかに
`とお思いになったらしく、詮議を命じられると、定かとも言い切れないということで
`許す旨を申し伝えよ
`との宣旨をお受けになり、大臣は帰られた

`左大臣は、過ちを犯してもいないのに、このような冤罪を被ったことを、思い嘆き、装束をまとって、庭に荒薦を敷き、表へ出、天の神に訴えられると、許しの宣旨を持った使いの頭中将が馬に乗り、駆けつけてきたので
`早々に罰せられる伝えだ
`と早合点し、家の者たちは泣いて騒いでいると
`お許しである旨を仰せつかって帰ってきたと知り、今度は、喜び泣いて大変であったが、許されはしたものの
`公の政に仕えていると、冤罪を被ることがある
`と言い、それからは、もとのようには、宮仕えをしなくなった

`これは、昨年の秋頃、右兵衛の舎人・大宅鷹取という者が東の七条に住んでいたときのこと、右兵衛の詰所へ行き、夜更けに、家へ帰ろうと応天門の前を通りかかると、人の気配がし、囁きが聞こえた
`廊の脇に隠れ立って見ると、柱の上からずり降りて来る者がある
`疑わしげに見てみると、伴大納言であった
`次は息子の中庸が降りてきた
`その次は、下男の紀豊城という者が降りてきた
`なんで降りてくるのか
`と、わけもわからず見ていると、この三人は、降りた途端、一目散に駆け出した

`九月頃になった
`ある日、伴大納言の出納係の家の子と、舎人・大宅鷹取の子が喧嘩をしていたときのこと、出納が怒鳴るので、舎人が分け入ってとめようとすると、出納も、同じく出てきて、見れば、近づいて引きはがし、自分の子を家に入れ、舎人の子の髪の毛をつかんで地べたに叩き伏せ、死ぬほど踏んづけた
`舎人は
`我が子もその子も、子供同士の喧嘩だ
`なのに、放ってもおかず、我が子ばかり踏んづけるとは、とんでもない
`と腹を立て
`あなたは、なぜそんなに、幼い者に対して、ひどい振舞いをするのか
`と言うと、出納は
`おまえは何を抜かす
`舎人の分際で
`おまえごときの役人など、俺がぶん殴ったところで、何の咎にもならん
`伴大納言殿がいらっしゃるからな、俺がいかに過ちを犯したところで、誰が手出しなどできるものか
`痴れ事ほざく乞食野郎め
`と言ったので、舎人はかんかんに怒り
`おまえこそ何を抜かす
`おまえの主の大納言を偉いとでも思っているつもりか
`おまえの主は、私が黙っているから人並みにしていられるということも知らんのか
`私が口を開けば、おまえの主など一人前ではいられんぞ
`と言い返すと、出納は腹を立てながら家の中へ入ってしまった

`この喧嘩を見ようと集まった、近隣の人々が、群れなしてそれを聞き
`いったいどういう意味だろう
`と思い、ある者は妻子に語り、ある者は次々語り散らし、噂で持ちきりとなって、世間に広がり、それが朝廷の耳にも届いたため、舎人を呼んで詰問すれば、初めは抵抗していたが
`自分も同罪になる
`と言われて、ありのままを語った
`その後、大納言も問い質され、事が明らかになり、島流しとなった
`応天門を焼き、信の大臣に罪を被せ、その大臣を陥れ、大納言から大臣になろうと目論んだことが、却ってその身が罰せられることになって、どれほど悔しかったことだろう