六一二九蔵人得業猿沢の池の龍の事
現代語訳
- `これも昔の話、奈良に蔵人得業・恵印という僧がいた
- `鼻が大きく赤かったので
- `大鼻の蔵人得業
- `と言っていたのを、その後、長いからと
- `鼻蔵人
- `と言うようになった
- `さらに後には
- `鼻くら鼻くら
- `とだけ言った
- `彼が若かったとき、猿沢の池の端に
- `某月某日、この池より龍が昇るであろう
- `という札を立てているのを、往来の者らも、老いも若きも、偉い人々も
- `これはおもしろい
- `と言い合った
- `この鼻蔵人は
- `お笑いだ
- `自分がしたことを、人々が騒ぎ合っている
- `まったくばかばかしい
- `と心中で笑っていたが
- `騙し通してやろう
- `と、そ知らぬふりで過ごすうち、その日になり
- `道もすれ違えぬほどひしめき集まった
- `恵印は
- `どうしてこんなに集まっているのか
- `なにかあるに違いない
- `これは変だぞ
- `と思ったが、そ知らぬふりをして過ごするうちに、その日になると、路は通れないほどひしめいていた
- `そのときになって恵印は
- `これはただごとではない
- `自分のしたことではあるが、わけがありそうだ
- `と思い始め
- `これはひょっとするかもしれん
- `行ってみよう
- `と、頭を包んで出かけた
- `とても近づけたものではない
- `興福寺の南大門の壇の上に登り立ち
- `いまや龍が昇る昇る
- `と待っていたが、昇るわけがない
- `日も暮れた
- `薄暗くなり、さて、こうしてもいられないので、帰ろうとした道すがら、一本橋を、盲人が渡り歩いており、恵印が
- `ああ、危なの目くらや
- `と言うと、盲人は、すかさず
- `違う、鼻くらだ
- `と言った
- `この恵印を
- `鼻くら
- `と言うとも知らなかったが
- `目くら
- `というのに対して
- `違う、鼻くらだ
- `と言ったが
- `鼻蔵
- `と言い合わせたことが、おかしなことの一つであったとか