一二一三五出家功徳の事
現代語訳
- `これも昔の話、筑紫にたうさかの道祖という斎の神がいた
- `その祠に修行している僧が宿り、寝ていると
- `夜半頃になったかな
- `と思しき頃、馬の足音が数多し、人の通り過ぎるのが聞こえ
- `斎はおいでですか
- `と問う声がした
- `宿っている僧が怪しんで聞けば、この祠の中から
- `おります
- `と答えた
- `また驚きつつ聞けば
- `明日、武蔵寺においでになりますか
- `との問いに
- `参りません
- `何事があるのですか
- `と答えた
- `明日、武蔵寺に新しい仏がお出ましになることになっており、梵天・帝釈天をはじめ諸天・龍神がお集まりになるとはご存じありませんか
- `と言えば
- `そのようなことも知りませんでした
- `よく教えてくださいました
- `どうして参らずにおりましょう
- `必ず参ります
- `と言う
- `それでは、明日の巳の刻頃です
- `必ずいらしてください
- `お待ちしております
- `と言って去った
- `この僧はこれを聞き
- `珍しいことを聞いたものだ
- `明日はよそへ行こうと思っていたが、このことを見てから立ち去ることにしよう
- `と思い、夜の明けるのももどかしく武蔵寺に参って見たが、そのような気配はない
- `いつにも増して静かで、人もいない
- `なにかあるんだろう
- `と思い、仏の御前にいて、巳の刻を待ち
- `あと少しで午の刻になる
- `どうしたんだ
- `と思っていると、年七十余りの、髪も禿げて白髪がほんの少しばかり残る頭に袋の烏帽子を被り、もともと小さいのにさらに腰が曲がっている翁が杖にすがって歩いてくる
- `後ろに尼が立っている
- `小さく黒い桶には何が入っているのか、物を入れて提げていた
- `御堂に参って、男が仏の御前で額を二・三度ほどつき、大きく長い木欒子の数珠を押し揉んでいると、尼がその持っていた小桶を翁の傍らに置いて
- `御坊をお呼びします
- `と言って去った
- `しばらくすると、六十ほどの僧が参り、仏を拝み奉って
- `何のためにお呼びになったのですか
- `と問えば
- `今日明日とも知れぬ身になったので、この少し残った白髪を剃り、御弟子になろうと思うのです
- `と言うので、僧が目をこすり
- `たいへん尊いことです
- `ならばお早く
- `と言い、その小桶には湯が入っていた
- `その湯で頭を洗い、剃って戒を授けると、また仏を拝み奉って出て行った
- `その後変わったことはなかった
- `この翁が法師になるのを喜び、天の神々もお集まりになり、新仏がお出ましになるということだったのである
- `出家分相応の功徳というのは今に始まったことではないが、まして若く盛りの人のよく道心を発して分相応に修行する者ならば、その功徳は推して知るべしである