二一七五寛朝僧正勇力の事
現代語訳
- `昔、遍照寺の僧正・寛朝という人は、仁和寺も治めており、仁和寺の壊れた箇所を修理させていたので、大工たちが大勢集まって作業をしていた
- `日が暮れて、大工たちが各々帰った後
- `今日の出来具合はどれほどか見よう
- `と思い、僧正は、衣を帯でたくし上げ、高足駄を履き、杖をつき、ただひとり歩き、足場を組んだもとへ立って日の暮れゆく中で見ていると、黒い装束の男が烏帽子を下げ、はっきり顔の見えぬまま僧正の前に出て来て跪くと、刀を逆さまに抜いて隠すように持ったので、僧正は
- `おまえは何者だ
- `と訊いた
- `男は、片膝をつき
- `うらぶれ者です
- `寒くて耐え難いので、そのございます御衣を一・二着下しいただこうと思ったのです
- `と言うや、飛びかかろうと思しき気配だったので
- `さしたることもない
- `そんなに恐ろしげに脅さずともよかろう
- `だが素直に乞いもせぬとは、けしからん心の持ち主であるぞ
- `と言いながら、すっと立ち回って尻をぽんと蹴ったところ、蹴られるままに男はかき消えて見えなくなったため、そろそろ歩み帰り、坊の近くまで行って
- `誰かおらぬか
- `と、声高に呼べば、坊の中から小法師が走り出て来た
- `僧正が
- `行って、火をともしてまいれ
- `ここに我が衣を剥ごうとした男が突然消え失せたので、怪しいから確かめようと思う
- `法師らを呼んで、連れてまいれ
- `と言うと、小法師は走り戻って
- `御坊が引き剥ぎに遭われました
- `お坊様方、いらしてください
- `と呼んだところ、あちこちの坊にいた僧らが皆、火をともし、太刀を下げ、七・八人・十人と出て来た
- `どこに盗人はいるのですか
- `と問えば
- `ここにいた盗人が我が衣を剥ごうとしたので、剥がれては寒いと思って尻をぽんと蹴ったらいなくなってしまったのだ
- `火を高くともして、隠れているか見てみよ
- `と言うので、法師らが
- `妙なことを仰せられるものだ
- `と、火をかざしつつ上の方を見上げると、足場の中に落ち込んで動けずにいる男がいた
- `あそこに人の姿が見えるぞ
- `大工のような気がするが、黒装束をまとっているぞ
- `と言って、登って見れば、足場の中に落ち挟まって、身じろぎもできそうにもなく、うんざりした顔をしていた
- `逆手に抜いた刀はまだ持っていた
- `それを見つけて、法師らは近寄り、刀と髻と腕を取り、引き上げ、下ろして連れてきた
- `連行して坊に帰り
- `これからは、老法師と思って侮ってはならぬぞ
- `だが、なんとも不憫ではある
- `と言って、着ていた衣の中で、綿の厚いものを脱いで渡し、追い出してやった