八一九二相応和尚都卒天に上る事
現代語訳
- `昔、比叡山無動寺に相応和尚という人がいらした
- `比良山の西の葛川の三滝という所にも通って修行しておられた
- `その滝で、不動尊に向かい
- `私を背負って、都卒の内院、弥勒菩薩の御許にお連れ下さい
- `と強く願われると
- `極めて難しいことであるが、強いて申すことだから連れて行こう
- `その尻を洗え
- `と仰るので、滝の尻で水を浴び、尻をよく洗って、明王の頸に乗り、都卒天に上られた
- `ここの内院の門の額に
- `妙法蓮華
- `と書かれていた
- `明王が
- `ここへ参入の者は、この経をそらんじてから入る
- `そらんじることができなければ入れぬ
- `と仰るので、はるかに見上げ、相応は
- `私はこの経を読むには読み奉ります
- `そらんじることはいまだ叶いません
- `と
- `明王は
- `それは残念だ
- `そういうことならば、参入は叶うまい
- `帰って法華経をそらんじられるようになってから参られよ
- `と背負い、葛川へ帰せば、泣き悲しまれることこの上ない
- `そして本尊の御前で経をそらんじて後、本意を遂げられたという
- `その不動尊は今無動寺におられる
- `等身の像であられる
- `その和尚はこのように奇特の効験がおありなので、染殿の后は物の気にお悩みになっていたとき、ある人が
- `慈覚大師の御弟子である無動寺の相応和尚という方こそ立派な行者にございます
- `と言うと、招きに遣わした
- `すぐ、使者に連れ立って参上し、中門に立った
- `人々が見るに、背の高い鬼のような僧が信濃布の衣を着、杉の平足駄を履き、大きな木欒子の数珠を持っていた
- `その風体、御前に召し上げるべきもではない
- `ひどい下種法師だ
- `として
- `ただ簀子の辺りに立ちながら加持を行え
- `と各々言い
- `御階の高欄のたもとに立ったままいるように
- `と仰せ下したので、御階の東の脇の高欄に立ちながら寄りかかって祈り奉った
- `宮は寝殿の母屋に臥せっていた
- `たいへん苦しげな声が時折御簾の外に聞こえる
- `和尚はわずかにその声を聞き、声高く加持し奉った
- `その声は
- `不動明王もお出ましになったか
- `と、御前にいた人々は身の毛がよだったほどであった
- `しばらくすると、宮が、紅の御衣二枚ばかりに包まれて鞠のごとく簾の中から転び出られ、和尚の前の御簾に身を投げ出された
- `人々は騒いで
- `実に見苦しい
- `内へお入れし、和尚も御前に参れ
- `と言ったが、和尚は
- `このような乞食の身であるのに、どうして参上できましょう
- `と、決して上らなかった
- `最初に召し上げられなかったことを根に持ち、そのまま簀子において宮を四・五尺持ち上げ、叩き奉った
- `人々は困って、御几帳などを出して立て隠し、中門を閉ざして人を追い払ったが、丸見えであった
- `四・五度ほど叩き奉り、投げ入れ投げ入れ祈ると、もとのように内へ投げ入れた
- `その後、和尚が退出したので
- `しばし待たれよ
- `と止めたが
- `長いこと立っていて腰が痛い
- `と耳も貸さずに出て行った
- `宮は投げ入れられて後、物の気も醒めて御心地がさわやかになられた
- `加持の霊験があらたかである
- `と僧都に任ずべき由を宣下されたが
- `このような乞食がどうして僧綱になどなれようか
- `と返し奉った
- `その後も召されたが
- `京は人を賤しくする所だ
- `と、決して参らなかったという