読解
かいつまめば「君子安くして危うきを忘れず」ということなのですが、生読みすると男が評価に値する人物に思えたり木登りの話が主と読めてしまったりするので注意が必要です。
まず、人物と状況を整理します。いひし、切らせし、見えしなどの表現から、兼好法師は木登りの現場にいたことがわかります。掟てて、登せてという表現や「あやまちすな」「心して降りよ」という命令口調から、登らされている人は男より目下であることがわかります。法師の「かく云ふぞ」と男の「しかじかに候ふ」というやりとりから、男は法師より目下であることがわかります。法師のかけ侍りし、申し侍りしという表現から、法師はこの顛末を目上の誰かに向けて述べていることがわかります。段の締めに突として鞠の譬えを持ってきているあたり、その誰かは、蹴鞠を嗜む貴人、それも特定の人物を指しているとみえます。男の言葉を聞いた後の法師の云ふやかなへりの部分が敬語になっていないのは、後述しますが、そこに含みを持たせているからです。同時に、この話を直の諫言ではなく敬語を交じえた独白とするための手法の側面もあると考えられます。
指図された人は高い木に登ったばかりか、刃物で枝の先まで払い、軒丈ほどまで降りてきました。うまく降りられると男は面目が潰れます。ここで「目くるめき枝危き程は云々」という言葉の敬語の位置に注目です。一見真っ当なようですが、「己が恐れければ申し侍らず(本人が恐れているので申さないのです)」ではなく「己が恐れ侍れば申さず(私が恐れておりますので申さず)」と言っています。「そんな高い所はこの私が恐れているので口を噤んでいた」というわけです。この言葉が、やすく思ったとき、気が緩んで出たのなら、それは取りも直さず着地直前での人の墜落を意味します。法師の「いかにかく云ふぞ」には単なる問いかけに留まらない心穏やかならぬ気配が感じられますし、男の「あやまちは云々」もどこかえらそうです。
高名の木登りは聞えしでもいはれしでもなく、いひし。周囲からそう評されているのではなく自ら名乗っていると読めてきます。男は、評判との立場を利して人に指図し、梢を切らせる折、法師がいたため、人の上首尾を見られては都合が悪いと油断の生じる最も危うい箇所でわざと声をかけ、失敗するよう仕掛けたのです。人が成功してもかくの如くの言い訳ではぐらかせ、失敗すればそれこそしめたもの。どちらに転んでも立つ瀬を失わないこつを知る者ならではの狡猾な策。のはずでしたが、法師は男が漏らした微かな本音を聞き逃しませんでした。「あやまちは云々」と聖人の戒めに適う理屈は吐けても実践はできていなかったようです。
最後の一文は鞠も難き所を蹴出して後やすく思へば必ず落つとあります。鞠を嗜む目上の誰かは男と同様の振舞いをしたとみえます。その誰かですが、一人思い当たる人物がいます。蹴鞠と和歌を家業とする藤原北家花山院流難波家庶流・飛鳥井家の三代当主・雅有。仁治二年(一二四一年)に生まれ、持明院統の歌壇で活躍し、姉の子である大覚寺統派の藤大納言・二条為世らと共に伏見天皇による勅撰和歌集の撰者候補に上がった人物で、内外三時抄という蹴鞠に関する書を記しており、正安三年(一三〇一年)に没しました。為世は兼好法師や頓阿らの和歌の師匠ですから、鞠という品も年頃も合い、法師が接触していたとて不思議もありません。
つまり、本段において法師は口先だけの男と鞠のこつを引き合いに出し、「貴方の謀を仕込んだ尤もらしい言葉によってあの人は事を成す直前で失敗しましたが、貴方もまた、うまくいったとやすく思って、油断しましたね」と皮肉を込めて慇懃無礼に難じている、と読めます。
末尾はと侍るやらんと結ばれています。この件が鞠試合での出来事なのか、いついかなる状況下で誰にいかなることをしたのか、定かではありませんが、内外三時抄の中に難き所を云々の記述があったならば目上の誰かが雅有である疑いはより濃くなってきます。彼の鞠の真の腕前も知りたいところです。